~ものづくり職人たちの町を訪ねて・大田区編~

日本にある工場のうち99%以上が従業員300人に満たない中小工場です。
1960年には沢山の町工場が建ち、自動車やテレビなどの大量生産品の部品を作り日本の産業を支えていました。

しかし現在、後継者の不足・海外からの部品の輸入・コロナ渦により町工場の減少が続いています。
この問題は、最近ですと昨年秋に「ガイアの夜明け」でも取り上げられていました。

そんな現状に負けず、今も熱いハートでものづくりを続ける町工場について皆様にも是非この熱量を知ってもらいたく、纏めてみました。

今回は東京に絞って大田区をご紹介いたします!

大田区工業の歴史

生産の活発化

江戸時代~明治時代には、水場を利用して海苔を養殖したり、土産品として麦わら細工を生産していた大田区。
大正時代になると、東京湾沿いに工場が建てられ、ますます生産は活発に。 関東大震災の後には、都市部にあった多くの工場も転入して工場がより増加します。

また戦争中は、需要に合わせて軍需品を、戦後は鍋、弁当箱、洗面器などの日用品やリヤカー、農具などを世に届けてきたそうです。

苦しみを乗り越えて

工場が増えることによって公害問題が発生。また、2度にわたるオイルショックにより、仕事の量の減少と親企業からのコストダウンにも苦しんだ職人たち。
そこで、町工場は一社に依存する仕事から特定の加工分野に特化し、複数の企業から仕事を頂くことによって危険を分散する体制を取るようになりました。

メッキや鋳鍛造などの工場や大企業の集団移転もあり慌ただしくも迎えた昭和50年。
とうとう、大田区は工場数が東京23区で第1位になるという栄光を掴み取りました。
この頃の工場数はなんと、過去最高の9,190棟とのデータがあります!

大田区の町工場の特徴

マシニングセンター等を使った切削・穴あけ・研磨など様々な加工技術のエキスパートがこの町には集積しています。
そして、工程ごとに工場を回り、発注された製品を納品できるネットワーク通称「仲間まわし」と呼ばれる連携体制が歴史の中で生まれました。

それぞれの工場が高度な加工技術を有することで、多品種・小ロット生産・短納期対応を可能としている点が大きな特長となっています。

大田区の町工場の主な位置

京浜島、城南島、昭和島(埋め立て地)

歴史の中でご紹介した、めっきや鋳鍛造などの工場が移転しているエリア。
その一方で、ここには緑が多い公園もあり、区民の憩いの場にもなっています。

大森南、糀谷、羽田など(東京湾近くの地域)

住宅と工場がそばにある地区で、機械金属加工や電気関係の小さな工場が多く集まっています。

大田区の町工場の写真

なんと、畳を製造する工場も発見!

大田区の町工場の写真

住宅のそばにある地区には機械金属加工の小さな工場や、計器やネジといった精密機械の工場も多く集まっています。

大田区の町工場の写真

近くには公園もあり元気に遊ぶ子供たちも。

大田区にはどんな工場が多い?

従業員1~9人のコンパクトな経営規模の工場が全体の約70%を占めており、生産用機械器具製品・金属製品・はん用機械器具製品など機械金属加工の工場が多くを占めています。

現在の町工場の状況は?

企業数は減少しているも、技術力の高いモノづくりの集積は残っている現在。

しかし、後継者不足や住宅の増加により今まで通りの仕事をすることが困難になってきています。

そんな中、平成8年に産業の拠点として、大田区産業プラザ・PiO(ピオ)を開設。
ここでは、多くの人々が交流し、お互いの知識を発表したり、工場で働く人たちのための講演会や展示会などが開催されています。

また、景気の動向や技術指導講習会のお知らせなど、さまざまな産業情報をWebサイトや広報誌「テクノプラザ」にて提供しています。

その他にも、インターネットを使った仕事に取り組んだり、海外企業との取引や融資、仕事の受注・発注などを希望する工場の相談などに応じたり、工業の存続・発展に向け取り組みを続けているようです。

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